茶庭を露地と呼びます。立花実山2
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立花実山の背景を調べてみますと、曹洞宗に参禅しており、道元の教えにかなり影響されているようです。道元が書き記した有名なもので、
「正法眼蔵」があり、この中に「おほく樹下露地に経行す。」とあります。
詳しく述べると長くなりまので省略しますが、
大乗仏教の成立において、維摩経、さらに後に成立する法華経などからつづく仏の世界観は清浄であるその世界を現世で現れる場所として、露地という言葉が出来たようで、草庵の世界を涅槃と捉えて南方録や喫茶又録に書き記したと思われます。
なぜにそのような事を書き記す必要があったのかと言うと福岡藩の問題があり、利休流の茶道を正統に引き継いでいると主張する必要があったようです。
実山の最後は福岡藩四代藩主の黒田綱政に殺害されてしまいます。この南方録の話しが茶人の言い伝えとなり、南方録の話を広めていきました。