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茶庭を露地と呼びます。立花実山

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立花実山は福岡藩の家老でした。南方録を立花実山が発見したと年が1690年、利休没後100年にあたります。

この時代は利休ブームがあったようで利休の消息の写しなどが大量に書かれた時期でもあります。

利休のケラ判の茶道具が大量に出回る頃です。利休時代に道具に朱漆で自分の花押を書くなどとはあり得ない事なのですが、なぜか現在は堂々とたくさん出回っています。立花実山が南方録を自ら書いて、あたかも利休の言葉が書かれた茶書のようにしたのは、どうやら福岡藩の内部事情が関係しているようです。当時の大名の出世に茶の湯が関係していた事、それも利休の直系だと云うことも大事な要素で細川家の文書でも利休の朝顔の逸話が作られたりしました。朝顔の話しは利休時代の話しではありません。

 

続く

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