夜咄13
- ブログ

濃茶が終わり、夜咄なので続薄になります。莨盆と干菓子、寒い時期ですので筒茶碗などで薄茶をいただきます。温まります。
なんと幸せな時なのでしょう。
裏千家の続薄なので最初の一碗目の茶は次客に先に飲んだ貰います。次客の大日本茶道学会の先生はその作法に驚いておりました。裏千家では続薄の場合は茶入と仕覆の拝見を先に乞います。そして、茶入と仕覆を正客が縁内の上座に預かって置きニ碗目のお茶をいただきます。これは淡々斎時代に亭主が茶入や棗などの道具がたくさんあると点前がやりにくいとの配慮から正客が茶入と仕覆を預かるようになったようです。それゆえに円能斎時代より、別れた大日本茶道学会ではそのような作法などある訳も無く驚くわけです。薄茶が終わり、仕舞いの挨拶をしてから残りの道具の茶杓、棗の拝見となります。ここで間違いやすいのは先に茶杓の拝見を乞う事です。理由は濃茶に使った茶杓はあくまでも濃茶道具のくくりになり薄茶道具より、格が上となり棗より茶杓の拝見を乞うのが先になります。茶杓、棗をひいて来たら、茶入と仕覆の間に茶杓を入れます。棗は広ければ仕覆の下座、もしくは茶入、茶杓、仕覆が並んだその下に預かっておきます。
そして亭主が水屋にひいたら、四器の拝見をして、末客まで行ったら出会いで帰します。そのときに広間であれば末客は立ち上がって四器を持って来ますが、この時に裏流のアクロバチックな道具の持ち方があり、他の流派の人は驚きます。それは、まず左手に仕覆を乗せ、その上に茶入を乗せて親指で茶入の肩を押さえ、右手で茶杓を握り込み棗を上から持つ。このような持ち方となります。とても大変な貴い道具なのですが、このように持ちます。それで道具畳まで進み正客へ返します。亭主が出て来て問題をします。今回の茶入はかなり古い瀬戸で室町期まで時代が上がるものでした。
その茶入は昔は鎌倉期と言われてましたが、現在の研究では鎌倉期の茶入には「?」マークがついているので迂闊に鎌倉期の茶入という事は現在は言わなくなりました。
道具屋さんは値段の関係上で鎌倉期と平気で言っています。