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日本庭園協会 東京都支部見学会 日比谷公園

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日本庭園協会東京都支部の庭園見学会が7月16日に開催されました。約30名ほどの参加になりました。今回は東京農業大学、粟野教授が企画してくださいました。当方は粟野先生のサポート役として裏方をさせていただきました。

朝の9時に日比谷公園の緑と水の市民カレッジに集合しました。

そして日本庭園協会会長の高橋康夫氏より日比谷公園の案内をしていただきました。

まず、日比谷公園の出来た成り立ち。日比谷公園は日本初の西洋風公園で明治36年6月1日に開園されました。本多静六博士により、設計されました。

 

それまでの案は日本庭園風なものや辰野金吾が設計した西洋式庭園などがあり、最後の案として林学博士の本多静六の設計した案に決定されました。

この案は公園が進んでいたドイツの公園を参考にして、その中に少し和風のテイストを盛り込み、設計したという事です。

 

こちらは、霞門の門柱です。江戸時代に橋に使われていた石柱を転用しています。今で言うところのSDGSです。この門はずっと開きっぱなしで公園というものは市民に常に開かれた場所だと言う西洋の考えを持ち込みました。

この門柱の石は江戸時代の物で安山岩で伊豆石と見られます。

池です。鶴の噴水があり、日本の和のテイストがここにデザインされています。

ミッドタウン日比谷が見えます。空との間にビルがあり、その手前に緑がある事で公園の中の空間が心やすらぐ場所になっています。

公園の橋から玉石の石積みが見れます。江戸や東京には石がない場所ですので、玉石を利用して積んでいます。これが東京の石の使い方です。

東京都の木がイチョウに指定された事が書かれた看板です。なんと、イチョウは都民の投票で選ばれたと言う事です。30年前の昔の話しですが、街路樹剪定したイチョウは焼却場には捨てられずに、当時13号地と呼ばれた場所に燃えないゴミとして捨てられていました。13号地とはなんと現在のお台場です。時が経つのは恐ろしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本多静六の首掛けイチョウです。明治34年に日比谷通りの拡張工事に伴い伐採されそうになっていたイチョウを日比谷公園の設計者の本多静六が自分の首をかけてでも移植させると言って樹齢400年のイチョウです。その後に昭和46年に沖縄返還協定反対のデモによる、過激派組織が投げた火炎瓶により、松本楼が全焼したさいに半分が黒焦げになりましたが、翌年春に新芽が芽吹き回復していったと言います。この話しを聞いたときに裏千家のイチョウの話しを思い出しました。裏千家のマークにもなっている宗旦手植えのイチョウは京都の大火の時に延焼を水を吹き出して今日庵を火災から守ったと言われます。その逸話のようにイチョウは火事に強いのですね。昔は燃えないゴミとして13号地に捨てに行ってたわけですね。

新しくこちらから道路を越して歩道橋が出来るとの事で、その為に樹木が一部伐採されるようです。

 

オクトーバーフェスが開催されていました。ビールのお祭りらしいです。

「公園は市民みんなの物で税金で運営されています。それを一部企業が公園を閉鎖して入場料を取り、企業活動をしていてそれが全国に広がって良いのだろうか。」と言う意見があるのだそうです。

難しいところですね。

普段ならビールのお祭りがやっているとしか考えてませんでしたが、環境を守るとはいろんな見方が必要なのですね。

 

オフィス街の中の公園の日比谷公園は、市民やサラリーマンのオアシスである事が分かりました。

仕事で忙しい中、わずかな時間でもリフレッシュ出来る森が近くにある事が重要なのですね。

植物から発せられる化学物質が人の原始的な脳に働きかけるのでしょう。辛いときや疲れた時に現実から少し離れる事で心の避難場所を与えてくれるのでしょう。高橋会長ご説明ありがとうございました。

ここから次の見学地の国立へバスで向かいます。しかし、暑い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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