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出光美術館 茶の湯の床飾 6

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大徳寺の開山、大燈国師こと宗峰妙超です。

なんと力強い中に穏やかさがある字です。

大燈国師は足が悪かったらしく、それをかつての中国の僧の雲門になぞらえて雲門の再来と言われていたそうです。

雲門は有名な雲門の関で知られていますが足を門に挟まれて折れて、その瞬間に悟ったと言われております。

面白いと言うか不思議な事なのですが、大燈国師や雲門も足に何かしらの悪い事がおこると、「悟る」という事です。

話しはそれますが、不思議な事に15世期にイエズス会を最初に始めたイグナティウス・デ・ロヨラはスペインの戦争で足を怪我をしてから神に人生を捧げると誓ったそうです。

その為にイエズス会は日本にまでやって来て布教をしました。イエズス会は日本でミサをやる場所を考えた時に、清浄な茶室を選んで行っていたと言うことです。

誤解があるようですが、遠藤周作の「沈黙」によりキリスト教宣教師が片っ端から殺されたと思われておりますが、殺されたのはフランチェスコ会の宣教師だそうです。

さらに話しはそれますが、

フランシチェスコ会はスペインが後ろ立てであり、イエズス会はポルトガルが後ろ立てであり、トリデシャス条約によりフランチェスコ会は大西洋の西に布教し、その後にスペインが植民地化すると言う政策、ポルトガルのイエズス会は大西洋の東に向かい布教します。最初、インドで布教をした時にその土地の文化を取り入れて布教を広くしていく事が効率的だと考えました。そして日本でも当時、流行していた茶の湯を布教にも取り入れて行きます。これは当時の宣教師ジョアンロドリゲスやルイスフロイスなどに記録にも載っております。

トリデシャス条約には、最果ての東アジアをどのようにするかの取り決めがなされてなく、ポルトガルのイエズス会やスペインのフランチェスコ会の両方が日本に来ていたようです。

その後、日本は鎖国をする事になったのはフェリペ号事件などで明らかにされた、スペインの植民地化政策から守ることがきっかけとも言われております。

当時の事は、安土時代の絵に黒い服のイエズス会とネズミ色の服のフランチェスコ会が両方描かれております。絵巻を見る時に気にしてお目にかかると面白いと思います。

 

話しがとても脱線しましたが、

足の怪我は悟りを得るのでしょうか。少庵も足が悪いと言われております。(かつては道安が足が悪く道安囲をしたと言われていましたが全く根拠はありません)

 

 

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