茶事の目的を考える
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裏千家は今日庵と言いますが、この名前の由来は諸説ありますが、大徳寺の清巌宗渭が宗旦を訪れたところ、不在であった事から「懈怠比丘不期明日(懈怠の比丘は明日を期せず)」と書き残した逸話に由来すると伝えられております。
その語を受けた宗旦は懈怠(けたい)を邂逅(かいこう)に改めて「邂逅比丘不期明日」と書いたと伝えられております。
この邂逅は「めぐりあう」と言う意味です。
圓能斎好で万代屋釜の蓋に「邂逅比丘不期明日」と字が書いてあるものがあります。裏千家の思いが邂逅に込められていると思います。
邂逅・思いがけずめぐりあう事
茶事の醍醐味は良く知った顔もあれば、初めて会う方も連客におります。その客と亭主、半東が座が進んで行くうちに共同で茶事を進行して行き、一座建立する事で仲間意識が芽生え、打ち解けあい茶事が終わっても人と人とが繋がって行く事だと思います。
室町の時代より、人と人とがめぐりあう場それが茶事であり、利休時代も商人と武士がめぐりあい、明治・大正時代も近代数奇者達もめぐりあいにて大きな事業を成し遂げて参った事は皆さまの承知の事と思います。
亭主はこの人とこの人を巡り合わせたいとの思いから客組を考えてお呼びくださいます。
「茶事に呼ばれる人になる」これこそが常の茶道の稽古で磨かれるべきところなのでしょう。茶の稽古だけでは培われない日々の心がけが茶の道をいっそう楽しませてくれるのでしょう。