茶会
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師走で押し迫る中、茶会のお誘いがありお伺いしました。
寄付には狩野探幽の出山釈迦図、
本席は江月でした。
12月8日は釈尊が悟りを開いて仏陀になった日とされています。知っている方なら出山釈迦図を見てピンとくるはずです。
素晴らしい道具の数々、茶はやはり道具だと思います。
それは茶事の時に亭主が水屋に下がっている時に、亭主の代わりになって接待してくれるのが道具だからです。そのようにいうと高い道具の展覧会になってしまうのでは?とおっしゃっられる方もいます。
しかし、亭主の経済状態で出来うる限りの良い物を手に入れて、それで茶を出されたら、感激しませんか。私の為にそんな良い道具を持ち出して下さり、感謝申し上げますと、その心になりませんか。
良い道具とは自己主張はせず、存在感のある道具で長い茶事の鑑賞に耐えられる物です。長い歴史の中で時を越えて残って来た物でいつの時代も美しいと思われものです。
こんな事を書きますと利休は見立てで雑貨を使ったと言う方もいます。
ただ、利休時代は文禄・慶長の役の前の時代ですから、茶陶というものが日本の焼物で無く備前や伊賀などの見立てしか出来なかった時代と江戸以降の茶陶が普及し、
幕府の士農工商制度の時代に家元制度が確立し家元が身分に応じた点前と道具を社中に広め、しかも何でもあり何でも手に入る現在とは違います。
見立ても一つ二つあると面白いのですが全て見立て、というアート的な茶会もあります。見てるだけで疲れてしまいます。珠光の「心の文」にも、見立ては良い道具を使いその良さを知り尽くして辿り着く境地とあります。(心の文が珠光が書いた物かどうかはここでは省きます)
また、利休は当日の今井宗久や津田宗及より、金銭的に乏しく自分の父親が亡くなった盛大な法要を出来ず、後に大徳寺の三門を寄進しているのでその時代の天目や高麗を手に入れられずにやむを得ず新しい価値観を作り見立てたと思います。
やはり良い道具で茶を飲むと心の余韻が長く長く残ります。