師走の茶事
- ブログ

裏千家の先生から電話があり、「前々からあなたを正客で茶事がしたかった」と言う事で、
それならばぜひお伺いします。とお答えしました。
亭主の先生はで10歳頃から業躰先生に学び、淡々斎時代から現在のお家元まで数十年と学び続けています。
いつも「子供の頃、茶の稽古が厳し過ぎて嫌で嫌でしょうがなかった」とおっしゃっています。
先生は人柄が素晴らしく、いつも謙虚で茶が出来るのに威張らず、偉ぶらない。なのでついつい、会話も砕けてしまいます。
しかし、いざ茶事が始まるとそれは芯の通った道具組と芯(真)の通ったお点前、
本物は全てにおいてまったく違うと心入りました。
現在は情報の多い社会でお点前はネットで知る事ができます。写真でテキストから学ぶ事が出来ます。師匠が要らないようにも思えます。最短で4年も満たないで茶名が取れます。
(これは実際の話しで茶道を初めてコロナ禍から始めて茶名を取ったので回し飲みをした事が無いと言う人が宗家の研修に来てました。)
しかし、今回の亭主の先生の様に
むかしの厳しい先生に基礎を何度も何度も繰り返し指導され、茶会をやる時には道具組を師匠にお伺いし、筋が通って無いと何度も却下され、稽古の帰りに涙を堪えて夜空を見上げて帰った。
そんな先生の道具と点前とおもてなしは緊張感の中に優しさが溢れ筋が通った道具、茶味の真髄を見たような気がします。簡単に得られる場所には簡単な物しか無い。つくづくそのように実感しました。
帰りはいつもの朗らかな先生と談笑して帰路に着きました。