三四郎池
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東京大学といえば庭の世界では三四郎池です。こちらは加賀前田家の元々は庭園であります。秀忠、家光の御成があった事で整備されました。この時、前田藩は借金をしてこれを整備した。御成の目的は武力の為の財政を削ぐ目的もあった。その事で素晴らしい大名庭園がたくさん江戸に出来て庭園文化が花開いた。
御成は露地口から入り茶の湯、式三献、能、そして露地口から出て行く、数寄屋御成。
この大名庭園文化が幕末、明治初期にジャポニズム庭園として海外に作られた。鶴見出身の畑和助、調布の野村金太郎などがフランスで日本庭園を作った。最初の海外進出は江戸の大名庭園文化が輸出されました。