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数寄者の庭と茶庭は違います。

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数寄者の庭と茶庭は違う事を理解しておりませんと、茶の出来る庭はできません。

そればかりかトンチンカンな茶庭風のものが出来上がってしまいます。そのような庭を本当の茶庭への手直しが数多くあります。

茶の湯は江戸時代に入り武士と町民の身分の差ははっきりとします。

武士の使う物と町民の使う物は分けられます。ゆえに武士である大名の茶の湯とは千家の茶は使う物が違います。

茶壺などはその代表例です。茶壺は大名道具です。かつて茶壺の本を徳川義宣さんが書かれました。(尾張徳川家21代当主)これは大名道具であった茶壺は大名の子孫しか書けない偉業です。千家のお点前の四ヶ伝が人前で出来ない理由は大名道具の唐物を町民が扱える事が無いのでそのようになっていると江戸時代の書物には書かれています。しかし武家流茶道は最初から唐物茶入で行っており、現代では写真入りでテキストまであります。武家茶道と町民の茶道は点てる相手が違いますしその道具が違います。

 

話しが逸れましたので戻します。

明治維新後になり、下級武士や町民の身分の方がお金を手に入れ、憧れの大名の娯楽である庭にお金をかけてを趣味にします。身分制度が無くなったので大名の蔵からたくさんの道具が流出しました。

庭もその時にすでに蒸気機関があったので大きな石などを庭に使えるようになります。また、朝鮮半島の石造品が明治時代の日本の統治下になって日本に運ばれ数寄者の庭に取り込まれるようになりました。

朝鮮灯籠や文人像などが見られます。あくまでもこれは数寄者の庭であり、千家流の茶庭とは違います。鑑賞が出来る庭で見られる五島美術館や根津美術館などにふんだんに石造品があります。それゆえに誤解されがちですが千家の庭は茶事に使用しやすい事を何よりとし、豪華であり過ぎる事はよしとしません。

茶を知らない造園屋さんがお客様に高額な石造品を庭に置き、茶事が出来ない庭を作ってしまう事も多くあります。流派の違いを知って貰いたいです。誤解されている方で「茶は一つで流派は関係ない」とおっしゃる方もいます、しかし、自分の足元を知らずに他の流派の事など分かるはずもありません。千利休の時代の茶とは違います。

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