跪座
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跪座俑が古代中国展にてかざられていました。
跪座は正座の原形です。古代中国、秦などよりかなり古い時代にお尻を直接に床につけないのが上級な坐り方でした。
以後、中国は北方騎馬民族に支配されていくと椅子に坐るように段々となっていきます。
日本では明と交流のあった室町幕府の義満の北山殿の会所の茶は椅子に坐る立礼です。明代はすでに中国では椅子に坐っていました。
その後の東山殿の義政の頃は書院となり、利休の侘茶も畳の上で行うことになったようですが、その頃は今で言うあぐらで坐っていたようです。
宗旦の頃までそれが続いていたようですが、仙叟の頃に跪座(正座)になったのではないでしょうか。
正座をするようになった理由として、徳川幕府が儒教の朱子学を中心とした国家体制をとったことにより、中国の古い礼法を規範とし、武士階級では跪座(正座)で目上の人に謁見しなければならなかった事と、江戸時代初期に幕府の令により反物の幅が狭くなり、足を広げて坐れなくなったと言う背景があるようです。
明治時代以降にこの武士の礼法である小笠原流礼法が東京の学校に取り入れられ跪座が正座と呼ばれるようになり、今も畳の上での正式な坐り方として定着しています。
その原形は古代中国にあります。
利休様より五百年の侘茶ですが、原形は数千年前の中国より続いています。
ちなみに「座」はすわる場所を指し、「坐」はすわる動作を指すようです。
日本は同音異語の文字が多く同じ音なら違う漢字を使うことが近年までありました。
中国は同音同語で字の形により意味が同じです。